***
「ニャァ」
(ひとしきり御馳走になった、小さな黒ネコは。
カフェテラスの円形広場を離れ。
再び、小町通り沿いに、足を運んだ。)
トトトトッ
(小さな黒い身体は。 赤いレンガの歩道を人波を縫って
進む。)
(小町通り脇の路地。
夏樹たちの乗る。 リムジンが止まったすぐ近くで、
ふと足を止めた。)
「ニィッ」
(黒ネコの位置からは、リムジンは見えない。)
(ネコは、別の目的のために。
その場に足を止めたのだ。)
スゥッ
(丁度、ネコが止まった辺りに。
不可思議な。 景色が歪む。
現象が起こった。)
ピチャン・・
(何もない中空に。 水たまりに、投じられた一滴の雫の様に。)
-1-
(煌めく、円形の波紋が現れる。)
ピチャンッ・・
(波紋は次第に大きくなり。
止まったネコの前に。
向こうを透視する。 大きな姿見の鏡が
開いた様に見えた。)
「ニイッ」
(黒ネコは、黄色の瞳で。 目の前に広がる
水面を見つめる。)
(柔らかな毛並みの身体を、
きちんと整え。 正座して待ち。
波紋の向こうを注視した。)
ズッ・・ズズッ・・
(波紋から。
一人の人影が現れた。)
(人影は、ゆっくりと、
手足を水面から出し。 しなやかな足から腰。
胸の形が現れる。)
(深紫色の。 長いマントに身を包むその男性は。)
(最後に、長身の身体を上げ。 まるで、
嵐を抜けて来たかの様に、乱れて四方に伸びる。 青い髪が覆う顔を上げた。)
-2-
■フェルゼン「ふぅ・・。」
(冷やかな、吐息が漏れる。)
■フェルゼン「・・まだ・・。
この身体は、重すぎる。」
(顔を上げた男性の。
血の通わない顔つきに。
傍で見守っていた黒ネコは、微かに身を引き締めた。)
■フェルゼン「くっ・・。
やっかいな処へ。 飛ばしやがって・・。
あの下衆が・・っ。」
(顔を上げた男性の瞳は、血の様に赤く。
苛立つ口元は、不敵に微笑んでいる。)
(乱れて四方に伸びる、青い髪が。 その男性の気性を
表している様だ。)
(男性は、長く、青い前髪の間から。
鋭い、深紅の瞳を煌めかせた。)
■フェルゼン「まさか、こんな処にまで・・。
散らばっているとは・・なぁ・・。」
「くっくっくっ・・。」
(青髪を揺らし、血の様に赤い瞳を光らせ。 男性は笑った。)
-3-
「ニャァ」
(微笑みは冷たく。 傍の黒ネコを萎縮させたが。 そのことがかえって、
黒ネコを惹き付けた。)
■フェルゼン「・・ここが地上か。」
「まさか、この俺が・・。」
「こんな処へ、足を踏み入れる日が来るとは・・。
思いもしなかった・・。」
「くっくっ・・。 思った通り。」
「汚らしいところだ・・。 なぁ・・。」
「俺が・・汚れる・・。」
「だが・・、仕方がない。」
「目的の為だ。」
(男性の目は、笑ったが。 口元には、不敵な笑みが浮かぶ。)
(見た事もない、深紫色の靴を履く両足が、小町通り赤いレンガの道の上に
降り立つ。)
スゥッ
(しかし、男性の姿は。
映しだした、映像を見ている様に。 薄く。)
(その場に存在していない。)
-4-
(時折通り過ぎる街の人々の
誰にも。 その姿は見えていなかった。)
「ニャァ」
(黒ネコは、透き通る。 男性に近づいた。)
(男性は、黒ネコに気づき、
真っ赤な目を向けた。)
■フェルゼン「クロエ・・。」
「地上は楽しいか?」
「俺は・・反吐が出そうだ。」
(男性は、苛立ち、にやりと微笑んだ。)
(足元まである、深紫色のマントの服が、
街の風に揺れ。)
(風は、男性の乱れた青い髪を打つ。)
サァァッ
チリリッ
(街に降り立つその男性が見えるのは、クロエと呼ばれた。
ネコだけだった。)
(風に翻ったマントは。 見た事もない、星座が散りばめられたように
煌めきを放つ。)
(マントの下の。 しなやかな足や、広い胸には。 不思議な銀に光る
鎖の装飾が、連なっていた。)
-5-
チリリッ
(苛立つ男性の動きに合わせ。 鎖は、音を立てた。)
■フェルゼン「チッ・・。」
(先程から、いまだ実体を持たない自分の身体にまで届く。
この街の気配が。
許せなかった。)
(自分に触れる風にさえ、なぜか男性は苛立ちを覚えた。)
■フェルゼン「来い。」
(男性は、クロエと呼んだ黒ネコに。
片手を差し出す。)
「ニャァ」
(黒ネコは、男性の手に飛び乗ると。
深紫色のマントを翻す。 男性の肩に、駆けあがった。)
ヒュアッ
(肩に飛び乗った黒ネコは、
不思議な黒い煙に包まれた。)
(と、同時に。
舞い上がる黒煙と共に、あっと言う間に
その姿を変え始める。)
ヒュオッ
(黒煙の中。 しなやかに長く、女性の黒髪が、現れる。)
-6-
(流れ出た黒髪は、まるで蜘蛛の糸の様に。
男性の周囲を、覆うように伸び。 形を得る。)
(長く、美しい手足。)
(赤紫色の、不思議に輝く服を着る。 美しい女性が、
姿を現した。)
(女性は、青髪の男性の肩に。
しなやかな長い両腕をかけ。 男性の耳元で、そっと
囁いた。)
■クロエ「地上は、なかなか良い処よ。
フェルゼン。」
「食べ物が美味しいから。」
(クロエはそう言って、細く小さな顔を寄せ、
フェルゼンの耳元に。
唇を寄せた。)
■クロエ「ふふふっ。」
(微笑むクロエに、赤い瞳が、うざったそうな視線を投げる。)
(クロエが口づけた、側の。 フェルゼンの左の首筋には。
不思議な黒く丸い幾何学模様のマークが彫られていた。)
■クロエ「でも、残念。」
「この世界では、まだ私でさえ、
実体を持てない。」
-7-
■クロエ「魔力の強い、あなたなら。
到底無理ね。」
(クロエは、フェルゼンから離れ。
透き通る自分の身体を見た。)
(長くしなやかな手に、金の星座が散りばめられた服を身にまとい。
不思議な切り込みがある。 赤紫色の服が。
クロエの豊かな胸や、長く白い脚を美しく見せていた。)
(地面に届くほど長い。 黒髪。
ポニーテールに束ねられ、両脇から流れる髪が
身体に纏わりつく。 蜘蛛の糸の様だ。)
(服のスリットから見える。
美しい左足の付け根に。 フェルゼンの首筋に刻まれているのと同じ、
不思議な黒く丸い、幾何学模様のマークが彫られていた。)
(クロエは、そのことを誇らしく思うように、
しなやかに歩いた。)
■クロエ「フェルゼン・・。」
「ここで、あなたの願いが叶うはずね。」
「私は、傍にいるわ。」
(クロエは、小悪魔の様に、小さな唇で微笑んだ。)
■フェルゼン「くっくっ。」
(フェルゼンの赤い瞳が、にやりと微笑む。)
■クロエ「でも・・、さっきは驚いたわ。」
-8-
(クロエは、美しい黒髪を整えた。)
■クロエ「まさか、空間移動中に、誰かに触れられるなんて・・。」
「ねぇ、フェルゼン。
地上にも、空間を操れる人が居るのね?」
「まぁ、私たちと違って・・、地上の中だけを
行き来できる道みたいだったけど。」
(クロエは輝く黒髪をなびかせ、
フェルゼンから離れ、歩き出した。)
***
■紫苑「あれ?
クロ?」
(紫苑はふと、いつの間にかテーブルから居なくなっていた
クロを探した。)
■紫苑「どこ、行っちゃったのかなぁ?
こんなに遠くまで遊びに来て、
迷子になっちゃったらどうしよう・・。」
(お茶を終えた3人は、緑のパラソル席を離れ、
小町通りを歩き始めた。)
■佐織「どうしたの? 紫苑。」
-9-
(カップを片づけに行った佐織とチイが戻り。
何やら、下向きに、屈んでいる紫苑を不思議そうに見つめた。)
■紫苑「クロが、居なくなっちゃった。」
「さっきまで居たのに・・。
一人で帰ったのかなぁ。」
(佐織も、長身の身を屈めて見たが。
近くには居ない様だった。)
(起き上がった拍子に、流れる長い髪が、
風に揺れる。)
■佐織「大丈夫よ。 野良ネコちゃんなんだから、
自分で帰るわよ。」
■チイ「でも、小さかったから。 少し心配ね。」
(チイの丸い穏やかな瞳が、心配そうに通りを見つめた。)
■紫苑「わたしちょっと、探してくる!」
「2人は先に帰っていて。」
(紫苑は、2人の返事を待たずに、
一人、茶色い皮鞄を手に走り出した。)
タッタッタッ
■佐織「あっ!
ちょおっと、紫苑!
-10-
■佐織「待ちなさいようっ。」
(佐織の声の先、遠くなる紫苑の皮鞄に。
走る歩調に合わせ、小さなクマのマスコットが揺れた。)
***
■菖蒲「! 美味しいですね。」
(リムジンに戻った菖蒲は、
ストロベリーカフェのお勧めメニューに、舌鼓を打っていた。)
■菖蒲「夏樹様も、お食べになれば良かったのに。」
■夏樹「僕は良いよ。 ほんとに甘い物好きなんだな。」
(後部座席で、静乃から送られたデータのプリントに目を通し。
夏樹は気が無い風に返事した。)
(甘い香りに、薄目を開けた白が、
迷惑そうに。 美味しそうに食べている菖蒲を見つめた。)
■白「う~ん・・、見ているだけで~・・。
胸やけしそう~だね~・・。 菖蒲ちゃ~ん・・。」
■菖蒲「失礼ですよ! 白さんっ。」
(後部座席を振り返った菖蒲に、
視線を向けた夏樹が、ふと気付いた。)
■夏樹「あれ?
菖蒲。 ハンカチは?」
(夏樹は、深い紺色の瞳で見つめ、白い指で、
-11-
菖蒲の胸元を示唆するように。 自分の胸元を指した。)
(いつも目にしているせいで、少しの変化にも気づいてしまったのだ。)
■菖蒲「あっ・・、いえ。
その。 隣にいらしたお嬢様が・・。」
(菖蒲がふと、自分の行動を思い返し。 どぎまぎした。)
■夏樹「はっ?」
(夏樹が、信じられないという声を出した。)
■夏樹「隣にいた・・って、菖蒲・・。」
「むやみに外部と接触したら
いけないんじゃなかったか?」
■菖蒲「すっ、すみませんつい・・。
結界の中でしたので・・。」
(菖蒲の言い訳に、白が合いの手を入れた。)
■白「・・スイーツに~・・夢中~でしたので~・・。」
■菖蒲「ちっ、違いますっ!」
(夏樹は、その時。
もう一つ。 その場から無くなっているものに。
気づいた。)
-12-
■夏樹「はっ・・。」
「ひよこが居ない。」
(夏樹は、後部座席から菖蒲を掴もうとしていたが。
ふと、動きを止めた。)
(菖蒲が、クレープを買いに行った時から、
静乃の資料を読み始め。
全く注意を払っていなかった。)
■夏樹「まずいな・・。
車の外に出ていないだろうか?」
(初めからひよこの効果に期待していなかったので、
気に留めていなかった。)
(夏樹は嫌な予感がして、
車内を見渡し。
白の毛布をはがした。)
■白「ん~・・寒いよ~・・、夏っちゃ~ん・・。」
■夏樹『居ない。』
「ふぅ・・。 大したことは、無いと思うけど。
一応、探して来よう。」
「橘さんが、空間融合機だって言っていた。」
「試作段階だっていうのも、気になるしな。」
-13-
ガチャッ
(夏樹はリムジンのドアを開いた。)
トッ
(スニーカーの足が、小町通りに降り立つ。)
■菖蒲「夏樹様、私が行きます。」
(菖蒲は、運転席から振り返った。)
■夏樹「ははっ、良いよ。
まだ、食べてるだろう。」
「今度は、交代だ。
少し歩いてくる。」
(夏樹は微笑み、ドアを閉めると。
路地を出て、メイン通りの方へ歩き始めた。)
-14-
Chapter20
『迷子』
Fragment of Time・・・時の欠片の道しるべ
シナリオは、Chapterの各場面です。
■物語全文はこちらから。
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